こんにちは。映画評論家のさいどです。
今回は、9月14日に公開されたばかりの映画『響-HIBIKI-』を観てきたので、感想を書きたいと思います。
最初に言います。
良かったです!
アイドルが主演やってるから見たいな色眼鏡はさっさと外して、ぜひ映画館に行っていただきたい出来でした。
何が正義かを問われる
映画のキャッチフレーズ「私は、曲げない。」にあらわされるように、主人公の響は天才的な文才を持ちながら、どこまでもまっすぐな女子高生です!
相手がだれであれ、言いたいことがあるときはとことん言い、時には暴力もふるってしまいます。
劇中では、友人に嫌味を言う芥川賞作家に、初対面にも拘わらず飛び蹴りを食らわせます。
テレビ中継されている、大きな会見であろうとも記者に友人をバカにされたら容赦なくぶん殴る。
友達に嫌な思いをさせるやつは、懲らしめる。
至極当然なのですが、実際こんなことは起こりえません。
芥川賞を取った大先生には小言を言われても、我慢する。
周りも苦笑いしながらやり過ごす。
これが社会のどこでも行われる当たり前の現象です。
でも、正義をぎゅっと集めた正義の結晶のような響はそんな道理はわからないんです。
ただ、自分が正しいと思った道を突き進むのです。
多分、現実的には中学生くらいからいわゆる社会の決まりみたいなものを知らず知らずのうちに学んでいくんだと思います。
言いたいことがあっても、目上の人には言わない。
嫌味を言われても、唇を噛んでぐっと我慢する。
そうしているうちにそれが普通になっていきます。
最初は必ずしも正しいとは思っていないことでも、慣れがそうさせるのでしょうか?
みんなそれを正しいとだんだん思います。
だから、感情のままに動く響は劇中でも異端児扱いされ、批判の的になります。
ここに対しての意見は、年代によって大きく変わるのではないでしょうか。
中高生くらいは、響きのようにまっすぐ生きよう!と勇気をもらえるかもしれないし、社会に出ていろんなものを見てきた方は、「青春してんな~」くらいにしか思わないのかもしれません。
話は変わるのですが、ぼくはオードリーの若林さんが好きで、若林さんの連載していたエッセイも読んだことがあります。
連載当初は、若林さんの社会に対する不満というか引っ掛かりを書いていたのですが、ある時連載を休止してしまいます。
のちに再開するのですが、その時の状況を「年齢が上がるにつれて、社会に対する不満がなくなった」と語っていました。
思いました。年取るってこういうことなのかなって。
劇中でも、響が蹴った尻すぼみの芥川賞作家の鬼島も言います。
「俺にはもう、世の中に言いたいことなんてねえんだよ」(だいたいこんなセリフ)
正論を言えば、響は100%正しいのはあきらかです。
ただ、若林さんや鬼島の言うこともまた正しいのかなと思います。
映画の中では響は圧倒的な才能で自分の道を駆け抜けますが、原作での響の心境の変化などがあるのか、それともずっと突き進んでいくのか気になるところです。
平手の演技
最後にちょっとだけ、皆さん気になるところであろう、平手の演技について書こうと思います。
ぼくはよかったと思います。
確かに、周りの俳優さんのような演技力はないです。
でも、ぼくが欅のファンであることもあってか、響の生きざまと欅の曲を表現する今の平手がとてもうまくマッチしてたと思います。
正直、アイドルが映画をやるっていうのはあんまり好きではないのですが、あのまっすぐな響をリアルな女子高生で表現力もある、なおかつ演技の面では何にも染まっていない平手にやらせたっていうのは映画を観てから考えると適役だったと思います。
半分自然で、半分演じているような不思議な感覚です。
最後に
他にも言いたいことがありすぎて、止まらないのですが、このくらいにしておきます。
観終わると不思議な感覚に陥る、そんな映画です。
ぜひ見に行ってみてください。
ぼくは原作がみたくてしかたありません!
ではでは~