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モノの選び方を考える 〜父の時計に想うモノの価値〜

こんにちは。さいどです。

みなさんはどんな基準でモノをえらんでいますか?

今回はそんなことを考えるきっかけをくれた時計について書きたいと思います。

父からもらった時計

この時計、父からもらった物です。

高校生の頃は全く時計に興味がなかったので、(今もそんなにないんですけど)友達がつけ始めたG-SHOCKなんかにもそそられず、もっぱら教室の掛け時計で時間を確認していました。

ただ、受験の時にはどうしても試験中に残り時間を確認するための時計が必要だったので、
ちょうど電池を交換してもらったという、父が昔つけていた時計を貸してもらっていました。

当時高3だったぼくは正直このおじさん臭いデザインが好みではなく、いつもつける気にはどうしてもならなかったので、受験が終わった後そのままもらってアパートに持ってきたものの、ずっとしまっていました。

大学生になるとみんなこぞって腕時計をつけ始めます。

流行りはG-SHOCKやダニエルウェリントンで、そろそろぼくも欲しいなあと思っていたころ、タンスを整理したときに出てきたのがこの時計。

手に取ってよく見ると、文字盤の裏には勤続20年の文字。高校生の時は全く気付きませんでした。

「こんな大事なもの、よくスッと渡せたなあ」
と思ったし、高校生の時とは違った感情を覚えました。

今、Twitterなんかを見ると、
「仕事辞めました〜」
というツイートを時々見かけます。
ぼくはその選択に何かを言うつもりもないし、今は仕事の在り方も多様化しているので会社に就職せずとも食べていくことが比較的容易になっているので、無理して嫌な職場に居座る理由がないのも理解できます。

だから、だからこそ、20年も一つの仕事を続けるというのは想像を絶するほど大変なことだと、無知な大学生ながらに感じました。

今と違って転職という選択肢自体が実際問題としてなかったのかもしれません。

一度入れば定年まで同じ会社にいるのが当たり前。

そんな中で勤め上げ、ぼくたち家族を食わせてくれた父は、すげえなと心から思います。

だから、この時計も高校生の時に持った時よりずっしり重く感じたし、不思議な愛着が湧いてきました。

そう思うようになると不思議なもので、デザインもおじさん臭いけどなんだか気に入ってしまって、毎日つけています。

モノの価値ってなにで決まるのでしょうか?
経済学的には需要と供給が釣り合うところですが、人間にはそのモノに対するそれぞれの思い出もあるので、その人にはどうでもいいモノでも、別の人にはとても大事なモノ。
なんてこともありますよね。

今は情報がだれでもいつでもどこでも入手できるようになりました。
ネットでいいモノと紹介されていれば、日本中、あるいは世界中の人が飛びつきます。
それに従って、流行りもすごい速さで移り変わっていきます。

それに乗っていくのは楽しいし、新しいモノはワクワクさせてくれるのもまた真実です。

でも、

ぼくはこの時計のように誰からも理解されなくても、

自分の目を、心を、動かしたモノを選んで、

自分だけの価値をもったモノと生きていけたら毎日が楽しいなあと思いました。

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